2015年御翼2月号その2

末席に座っておられた元兵学校教官

 2001年9月、広島県福山市での海軍兵学校連合クラス会に講師として招かれた時のことである。会場に着くと、誰よりも早く、S教官(当時91歳、兵学校60期中佐)がいらしていた。クラス会で教官は誰よりも偉いのに、S氏は入ってすぐの末席に座って挨拶の準備をされていた。やがて、入ってきた主催者に「どうぞ」と言われて、前方、講壇のすぐ前の席へと案内されていかれた。イエス様のたとえ話の通りだと私は思った。  講演会のタイトルは、「兵学校精神とキリスト教」とした。真理を愛する武士道を教える兵学校精神によって、75期の父は聖書の真理を探究した。その結果、「神は言われた。女、子どもを皆殺しにせよ」という旧約的な表現は、イエス様の言葉を中心に解釈すれば、人間が神の言葉だと思って記したことであったと分かると話した。ちょうど講演会の二週間前、ニューヨークのビルにイスラム過激派によって乗っ取られた旅客機が突っ込む(飛行機はコンピューターグラフィックスだったとの疑惑もある)という同時多発テロがあったばかりである。会の始まりにS教官はそのことに触れ、「元海軍の一員として特攻があったことは十分承知していますが、何のためにあんなこと(テロ)をしたのか理解に苦しむ世の中になりました」とご挨拶された。(特攻は殺りく兵器である米空母や軍艦を撃沈するためだが、テロは不特定多数の一般市民を殺傷する。)  私の講演を聞かれたS教官は、幹事のT氏(兵学校77期)にこう言われたという。「普通今まで、キリスト教の話を聞きに行くと、やれ罪だ、お前は罪人だと、我々を罪人呼ばわりするので、心から聞くことができなかった。私は海軍軍人として、正しいと思ったことはやり、部下を命をかけて愛し、罪などということをしたことはないと思った。けれど、今日の講師の話は、兵学校精神が元となり、神の御心を大切にし、神の御心から離れることが、的(まと)から離れることが罪だと、よく分かるように説明して頂いたから、高橋君、分かったよ」と。S教官は、日本海軍の砲術の権威であり、的に当てることは誰よりも良く分かっておられる。そして、この表現をされているS氏は、よく聖書を読まれているお方であり、このとき、イエス様を受け入れたのだと私は確信している。(新約聖書の「罪」とはギリシャ語で「ハマルティア」といい、元々「的外れ」ということを意味する。)  兵学校教官でありながら、連合クラス会では末席に座られた謙遜なS氏は、魂の救いへと導かれたのだ。

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